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The seaside of Shonan

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気ままな学生生活もあと1年…

『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その11 

5/4(金) 4日目<後編>
秋芳洞からバスで山口駅に移動しました。
しかしバスは大幅に遅れ、到着予定から28分も遅れて15:35頃に到着。
列車の時間が迫っていたため、素早く駅舎だけ撮影し、ホームへ向かいます。

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県庁所在駅にしては規模の小さな山口駅。
何しろ通ってる路線が非電化のローカル線だけですし、瀬戸内側の新山口や下関が栄えているので、仕方ないといえば仕方ないのですが…。

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駅周りの様子。ここだけを見るとあまりにも寂しい…。
でもバスから眺めた限り道路や町並みは綺麗で、主要施設もコンパクトにまとまっている印象を受けました。

山口15:41→篠目16:08
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ここからは山口線で少しだけ北上。

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目的は…SL。
丁度いい時間に「やまぐち号」があるということで、手軽にSLが撮れる篠目駅にやってきました。
駅とその周辺には既に多くのギャラリーが待ち構えており、私が到着してほどなく、反対側からSLが姿を現しました。

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キハ40が先に発車し、その後長い長い汽笛と共にSLが動き始めました。
その警笛は周囲の山々に反響し、煙は風に乗って辺りを包みます。
残念ながら曇ってしまいましたが、古い給水塔と腕木式信号機、そして煙を吐き出すC57をフレームに収めることができて納得のいく一枚になったかな、と思います。
周りでは老若男女じつに様々な人々がSLを記録していましたが、中でもおばあさんが三脚を立てて一眼レフを構えている姿を見て、少し胸が熱くなりました(笑

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SLの走行シーンを見たのは自身2度目。
その心揺さぶる汽笛とメカニカルな車輪の動き、そして後に残る煙の臭いには、SLのみが持つ魅力が詰まっています。


SLが去っていき、周辺でSLの通過を見守っていた人々も次々に撤収していきました。
しかし、新山口方面の列車は1時間半後。手持無沙汰なので、ひとまず駅をウロウロ…。

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山口線は数年前にも一度乗車しましたが、この篠目周辺は景色も良く、チャンスがあれば降りてみたいと思っていた駅でした。

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その後駅周辺の散策に出発。
駅周辺には住宅が立ち並んでいますが、少し歩くとその住宅も途切れ、道は細くなっていきました。

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しばらく歩くと道端にこんな立て札を発見。ここが有名な俯瞰ポイントの入口なのでしょうか。
道らしいものが見つからなかったのですが、少しだけお邪魔して山へ分け入ってみます。

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少し登った所から、駅方面を望みます。どこか懐かしく、ホッとする景色です。
18切符のポスターにも使われた篠目駅周辺の景色は、まさに日本の原風景。

この後も少し山口方面へ歩いて行ったのですが、薄暗い雑木林の中を心もとない道が伸びているだけ。
その途中、足元に大きなヘビ(1m以上あった)を発見し、思わず「おわっ!」と声をあげてしまいました…(笑
見慣れぬ生物との邂逅にビビった私は、咄嗟に回れ右をして駅へと引き返したのでした…。

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駅に戻る途中、今度は神社を発見。

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辺りは鬱蒼とした雑木林に覆われており、その奥に社殿が忘れ去られたように佇んでいました。
こういう場所に来ると、いかにも「旅」してるなぁ…という気持ちになります。

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駅へと戻ってきました。
先程SLと共にフレームに収めた給水塔ですが、このような説明板も設置されていました。

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1917年製の駅舎と1922年製の給水塔。
周囲の景色とも調和し、本当に時が止まったような場所です。

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この後はおとなしく駅舎内で列車の到着を待ち、ようやくやって来た新山口行きに乗車して篠目駅を離れました。

篠目17:52→湯田温泉18:22
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そのまま新山口へ行くつもりだったのですが、せっかくなので途中下車して湯田温泉に寄ることにしました。
山口県内では長門湯本と並んで有名な温泉地で、詩人・中原中也の出身地でもあります。
右に立ってるのは湯田温泉のシンボル「白狐」。ちょっと顔が怖い気がしなくもない…?

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駅前は住宅しかありませんが、少し歩くと繁華街が広がっていました。
あまり温泉街という雰囲気ではありません。

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今回はこちらの「亀乃湯」で入浴。
入湯料は350円。公衆浴場ながら中は非常に綺麗で、快適な温泉でした。
風呂上がりにはコーヒー牛乳を飲んで…。
あー、最高!

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駅には無数のツツジが咲き乱れ、綺麗でした。

湯田温泉19:25→新山口19:43
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新山口に到着。
今日はここで宿泊。コンビニで夕飯を購入後、ホテルへ向かって体を休めました。

ホテルでは何気なくテレビをつけ「Mステ(スペシャル)」を見ていたのですが、そこでミスチルが出演して「worlds end」を披露していました。この「worlds end」は私が高校時代最も良く聞いた曲。シングルではないので殆ど知られていないのですが、まさかテレビで、しかもこのタイミングで見れるとは思ってもみませんでした…。
何かこう因縁めいたものを感じ、一人テンションが上がっていたこの日の夜でした…


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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その10 

5/4(金) 4日目<中編>
依然小雨が舞う新山口駅。ここからはバスで「秋芳洞」を目指します。
事前にバスカードを購入し(往復乗ると200円お得)、他の観光客に交じってバスを待ちます。

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バス待ちをしていると、こんな表示を出したバスがやってきました。
心遣いが嬉しいですね(笑


新山口駅10:06→秋芳洞10:43(バス:1140円)

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バスは観光バスタイプで、駅発車の時点で全ての席が埋まっていました。一応路線バスなのですが、途中で乗り降りする人は殆どおらず、実質秋芳洞に行く観光客専用のバスと化していました。
それにしても片道1140円とはお高い…。(画像は秋芳洞にて)

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バス停からは洞窟入口へ向けて5分ほど歩きます。
やはり一大観光地と言うことで、GW真っただ中のこの日はかなりの混雑でした。
家族連れやカップルが殆どの中、一人旅でこんな観光地に来るべきじゃなかったなぁと少し後悔も…。

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入洞料はこれまた高額の1200円(- -;
財布から札が次々と飛び立っていきます…。

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洞窟に入ると、ひんやりした空気が体を包みます。また入口付近は思った以上に広く、道も歩きやすく整備されています。
しかしやはり人の数が凄く、なかなか立ち止まって写真も撮れません。。

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鍾乳洞最初の見所がこちらの「百枚皿」。
まさに自然の作りだす芸術…。

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「洞内富士」
なるほど…確かに富士山です。

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「千町田」という場所。
頭上には氷柱のようなものが無数に突き出ており、足元には水の溜まった皿のようなものが広がり、何とも不思議な空間です。

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「黄金柱」
これはすごい…。よく折れないものだと、妙に感心してしまいます。

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何千年、何万年、何十万年という時を経て、水と石灰岩が作り上げた「アート」。

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こちらはその名も「岩窟王」!
言い得て妙ですね…(笑

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こうして40分ほどかけて鍾乳洞を堪能。
人間には到底作り出せない「芸術品」の数々を鑑賞でき、1200円を払った価値は十分あったかと思います。

その後は10分ほど山道を歩いて秋吉台へ。
ここは大変風が強く、しかも相変わらず細かい雨が舞っていたのですが、その景色は感動モノでした。。

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広大な草原にゴツゴツと突き出る無数の石灰岩。その奇妙な景色は、まるで何かの遺跡を連想させます。
一体ここは何なんだ…。

天気がすっきりしなかったのが悔やまれますが、その果てしない風景を眺めながら、つくづく「来て良かったー」と思いました。
秋芳洞に比べ、秋吉台は思ったより一人で歩いている人も多く、そういう意味でも居心地のいい場所でした。


結局秋吉台には1時間ほど滞在し、草原の中を歩いたり、ベンチに座って感傷に浸ったりしていました。
その後来た道を引き返し、もう一回鍾乳洞を抜け、バス停付近へ戻って昼食にします。
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13時を過ぎていたので、レストハウスもそれほど混んでいませんでした。
名物だということで「カルスト洞蕎麦」というものを注文してみましたが…まぁ見た目通りの味という感じ。

昼食を終えて外に出る頃には日が差して青空が広がっており、清々しい天気になっていました。

秋芳洞14:32→山口駅15:35(バス)
14:14発のバスをだったのですが、道路混雑の影響で18分遅れで到着。
今回は往路とは異なり、いわゆる一般的な路線バスだったので、1時間の乗車はなかなかの苦痛でした。。
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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その9 

5/4(金) 4日目<前編>

この日は頑張って4時50分に起床し、5時半にホテルをチェックアウト。
相変わらず雨がぱらつき、加えて風もあってかなり肌寒い朝でした。

小倉5:45→下関5:59
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この時間でもまだ薄暗く、随分西の方に来たということを実感します。

下関6:00→小野田6:39
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下関でホーム向かいに止まってた岩国行きに乗り換え――

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小野田で下車。ここからは…

小野田6:42→雀田6:56
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小野田線に乗ります。単行の列車には学生がそれなりに乗っていましたが、空席も目立ちました。

沿線には住宅が多く、さほど面白みのある車窓ではありませんでした。でも「ガタン ゴトン」という音をたててのんびり走る様はローカル線そのもの。

雀田6:59→長門本山7:04
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雀田からは乗車券を買い直して「本山支線」に乗車。
2003年までJR最後の旧型電車(クモハ42)が現役だったことで有名でしたが、それも過去の話。
今はクモハ123が一日たったの三往復、ひっそりと走っています。

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車内には私を含め5名が乗車していましたが、いずれも地元の方ではなく旅行者だったようです。
この路線の存在意義に悩みます…。
(画像は長門本山にて)

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途中駅はこの浜河内駅だけ。終点まではわずか2.3キロ、所要時間5分です。

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あっという間に終点の長門本山に到着。

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駅は極めて簡素で、最低限の設備とトイレがあるだけ。
トイレの脇には「美しい日本」と書かれた看板が、雑草に埋もれて物悲しく立っていました。

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絶望的な気持ちになる時刻表。
今年3月のダイヤ改正で17時台の2往復が廃止され、ついに3往復体制となってしまいました。
廃止も時間の問題なのでしょうか…?

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車止めのすぐ先には道路が走っています。
駅自体は寂しいものですが、周辺にはある程度住宅もあります。

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道路を挟んですぐ周防灘が広がっており、朝から釣りに勤しむ方々の姿が見られました。
また、近くには「きららビーチ焼野」というビーチが広がっています。


この後、近くのパン屋さんでアップルパイとあんぱんを購入。駅に戻って食べました。
こんな朝早く、それもでかいリュックを背負った男の来店に、パン屋さんもさぞかし驚いたことでしょう…(でも笑顔で見送っていただきました。笑)
パンはとっても美味しく、特にアップルパイは絶品!でした。

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駅でパンを頬張っていると、地元のおばあさんが「あなたはどちらから?」と声をかけてきてくださり、列車が来るまで少しお喋りが続きました。

殆どが当たり障りのない世間話でしたが、その中でも
「旅ができるって幸せじゃよ。体、お金、時間、全部揃ってないとできないんだから…。あなたも御両親に感謝しないとね」
と、重みのある語り口で仰っていたことが非常に印象に残っています。

そうですね…ほんとに。こうやって旅ができて、幸せです。

長門本山7:38→宇部新川8:08
わずか30分の滞在を終え、宇部線直通の列車で宇部新川を目指します。

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雀田では少し停車時間がありました。
ホームは独特な形、加えて一部が嵩上げされており、面白い造形になっています。
小野田行きの列車は高校生で賑わっていました。

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雀田駅の外観。
業務委託駅で、窓口では年配の男性が切符の販売等を行っていました。

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居能からは宇部線に入り、居能から一駅で終点・宇部新川に到着。

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宇部新川は宇部市の中心地。
駅前にはビジネスホテルなども立地し、それなりに大きな町。

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駅前通りの奥には煙突が見えます。宇部興産の工場群です。

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宇部興産は山口を中心にする大企業ですが、驚くべきはこの宇部新川から美祢まで「宇部興産専用道路」という私道を持っているということ。
高速道路並み、あるいはそれ以上の規格の道路を「私道」として建設し、物資の運搬に用いているのです。
(この話は2日前、萩の料亭の御主人から伺ったのです…笑)
そんなスケールの大きな宇部興産を持つ宇部新川。この一帯は宇部興産のお膝元と言っても過言ではないでしょう。

宇部新川8:41→新山口9:31
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ここからは宇部線で新山口へ。
この結果、宇部線は宇部~居能だけが未乗区間で残ってしまいました…。

宇部線の車窓は主に農地と住宅街。
一瞬だけ海が見える区間もありましたが、あとは「長閑な住宅街」といった趣の車窓が広がっていました。

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宇部線の後半は殆ど眠っていて、気付けば終点新山口。
相変わらず肌寒く、小雨が舞っていましたが、ここからはまたバスで有名観光地に向かいます。

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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その8 

5/3(木) 3日目<後編>

特牛13:38→下関14:56
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特牛駅で一人旅の醍醐味を満喫したのち、「みすゞ潮騒2号」に乗車して下関へ向かいます。
幾何学図形と原色を多用した独特の塗装は、みすゞの生きた時代に持て囃された「アールデコ」調。この車両が登場した時は「なんじゃこりゃ」と思ったものでした。

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この列車の売りの一つが、ビューポイントでの停車。
特に景色(海)が美しい長門市~黄波戸、長門二見~宇賀本郷、湯玉~小串の3か所で停車時間が設けられており、乗客が車窓を満喫できるように配慮されているのです。

しかしこの日は生憎の天気で、途中からはまた小雨が降り始めました。
画像は2か所目のポイント、長門二見~宇賀本郷ですが、晴れてないと…

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こちらは湯玉~小串。
繰り返しになりますが、やっぱり晴れてないと…。。

ちなみに今回は指定席に乗車したのですが、殆ど乗客はおらず、アテンダントの女性も手持無沙汰に見えました。。その他指定席のみのサービスとして、乗車記念証と絵葉書が配られました。

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海が見えなくなると徐々に住宅が増え、下関の市街地に入っていきます。
そして1時間20分の乗車の末、下関に到着。
重複区間となる幡生~下関の清算を行い、初めて下関の改札を抜けました。

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2006年、それまで下関のシンボルだった旧駅舎が全焼してしまった、というニュースは衝撃的でした。
現在、その東口は御覧の通り復旧していますが、かつての駅舎が戻ることはありません。
また現在も駅構内や駅周辺の改修が行われており、所々囲いがしてありました。

さて。前回は下関で観光する時間が取れなかったのですが、今回は最低限下関の観光地を抑えることにします。
ロッカーに荷物を預け、バスに乗ってまずは壇ノ浦へ。やはり日本史好きとしては一度訪れておきたい場所です。

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バス停は「壇ノ浦」ではなく、「御裳川」で下車。
ここは「みもすそ川公園」として整備されており、火の山公園や関門海峡の人道入口などの最寄りにもなっています。
バス停近くには源義経と清盛の子・平知盛の像がありました。

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長州砲。ここは攘夷派と外国軍のいわゆる「下関戦争」の際の砲台跡でもあります。
こちら大砲、100円を入れると音と煙が出るようになってます…(笑

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関門海峡をゆく客船。
一日およそ700隻の船舶がここを行き交います。

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画像右側が関門トンネルの人道入口で、歩いて九州に渡るにはここから。
今回は歩きませんでしたが、歩いて海峡を渡るというのはなかなか貴重な経験になりそうですね。

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この後はこのロープウェーに乗って…

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火の山公園にやってきました。
「火の山」の名は、かつてここに狼煙台があったということに由来するもの。
一時期は重要な要塞施設として、砲台や弾薬庫などが設置されていたこともありました。

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火の山公園と言えば、関門海峡を見下ろすこの絶景!

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この2枚は展望台からガラス越しに撮影。

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こちらは外のデッキから撮影。

しつこいようですが、天気が良ければなぁ…。

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先述のように、火の山公園には要塞として使われていた時代があり、随所にその名残が見られます。
こちらは弾薬庫の跡。この他に砲台跡なども残っているそうですが、今回見つけられたのはこれだけでした。

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火の山公園を見た後は寄り道せずに駅まで戻ってきました。
下関の見所はまだまだ多いですが、また機会を改めて訪れたいと思います。火の山公園もまた晴れた日にリベンジしたいので。。

下関17:25→小倉17:39
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本当なら下関に宿をとるはずだったのですが、連休中ということでどこも満室。
何とか小倉にホテルが見つかったので、宿泊のためだけに九州に渡ります。

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というわけで、関門海峡をくぐって九州上陸。
コンビニ弁当を購入後ホテルに直行し、旅の3日目を終えました。
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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その7 

5/3(木) 3日目<中編>

金子みすゞゆかりの地、仙崎を一通り見終え、駅へと戻ってきました。
長門市行きの列車は当分ないのですが、ひとまず駅のベンチで朝食にします。

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ベンチに座って巻き寿司食べている間、この猫がずっと「にゃーにゃー」鳴きながら周りをウロウロしていました。
お腹が空いていたのでしょうか…。何もあげられなくてごめんよ(^^;

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先ほど書いたとおり当分列車がないので、ここから長門市駅まで歩いて戻ります。
海に沿って歩くこと20分ちょっと。

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長門市駅に到着。
駅舎はよくあるタイプで、駅前にはSLの動輪が置かれていました。
かつてはここにも蒸気機関車の機関区があったそうです。

さて。
長門市駅に戻ってきたは良いものの、次に乗る列車は1時間半以上先。(10時4分発という列車があったのですが、タッチの差で間に合わなかった…。)
徒歩圏内に見所もなさそうでしたし、どうしようか悩んだ結果…

タクシーを捕まえて温泉に行くことにしました。
黄波戸や表山、長門湯本と候補はいくつかあったのですが、運転手さんのおススメで長門湯本に行くことに。
タクシー代も思ったほどはかからず(2000円弱)、長門市から15分ほどで湯本温泉に着きました。

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湯本温泉は音信川(おとずれがわ)に沿って温泉施設が並ぶ、山口県屈指の温泉街。
近くには美祢線の駅もあり、鉄道で訪れることもできます。

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今回はこちらの「恩湯」に入浴します。ここはいわゆる「元湯」であり、古くから続く共同浴場です。
入湯料はたった200円。ただし一般的な銭湯同様、シャンプーやせっけん等は備え付けられていません。

入ってみると、思ったより狭い浴室に先客が10人ほど。
会話を聞いていると、その多くが地元の方だったようです。
温泉はややぬるく、長い間浸かっていてものぼせることはありません。ついつい長湯をしてしまいました。

風呂から出て脱衣場で着替えていたところ、地元の方が話しかけてきてくださいました。
そこに地元の人がもう一人加わり、しばし3人で談笑。
「何といっても200円ってのがいいよね。しかも泉質もいい。ちょっとぬるいから長く浸かってられるしね。」
と、この銭湯の人気の秘訣を教えてくださいました。


列車の時間も気になったので、お2人と番頭さんに別れを告げ、少し寄り道をしつつ駅へと向かいます。
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橋の上から。

のんびり駅へ向かって歩いていると、突然後ろから「おーい」と呼び止められました。
「ん?」と思って振り返ると、声の主は先程脱衣所でお話した男性。
男性もこれから列車で長門市に行かれるということで、長門市まで御一緒することになりました。

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温泉街から歩いて5分ちょっと、長門湯本駅に到着。
ここは本当に平成なのか?と思ってしまうような、レトロ感たっぷりの駅前風景です。

長門湯本11:19→長門市11:26
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僅か2駅ですが、図らずも美祢線に初乗車。
車内で先程の男性と雑談(旅行談議からカメラの話まで色々と)していると、あっという間に長門市に着いてしまいました。最後に周辺の見所を伺ったのですが、「角島が素晴らしいよ!」ということでした。天気が良ければ行ってみたかった…。

長門市駅で男性と別れた後、ここからさらに西を目指す列車旅。

長門市11:46→特牛12:28
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長門市駅前にコンビニがあったので弁当を買い、発車前の列車内で食します。
幸いにも列車は随分空いており、周りを気にすることなく食べることができました。

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この区間も長門市~黄波戸をはじめ、海に接近する区間が何箇所か存在します。
しかし少し海から離れると、こうした農地や山村風景が広がり、海の気配すら感じられなくなります。

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列車は小串行きでしたが、私は特牛駅で下車。
特牛と言えば全国にその名をとどろかせる(?)難読駅ですが、なかなかいい雰囲気を持った秘境駅でもあります。その不思議な駅名と雰囲気に惹かれ、今回下車することにしたのです。

ここでは私のほかに高校生が一人下車しましたが、迎えに来た車に乗ってすぐに去って行きました。

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読みは「こっとい」。
一体、何がどうなったらこう読めるのか…。

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駅舎。
改修が加えられており雰囲気自体はそこまで古そうに見えませんが…1928年に建てられたもの。

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駅舎内。
この駅を用いて映画のロケが行われたことがあるようで、その際の写真が展示されていました。

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その映画(2005年公開の『四日間の奇蹟』)では「伊上畑駅」として登場。
駅前にロケで使われた駅名板が保存してありました。

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駅前の様子。駅は比較的高い場所にあるため、駅の周りには民家が数件あるだけです。
ただ、駅から続く道を下りていくと国道435号線が通っており、その周辺に民家も存在しています。

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駅から国道435号線を見下ろしたところ。
国道を通る車の音がやや気になるものの、それ以外は秘境感充分。

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長門市側から駅を望みます。
手前の水たまりには大量のアメンボが泳いでいました。

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ホームは駅舎よりさらに高くなっており、両者は階段で結ばれています。

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木の改札口と扉。懐かしい気持ちにさせてくれるアイテムです。

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駅ノートも置いてありましたが、中身が欠落しているなど保存状態はあまり良くありませんでした。

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たまに聞こえてくる車の音を除けば、あとはカエルの鳴き声と鳥のさえずりに包まれた静かな世界。
ホームに座って深呼吸をすれば…悩みや煩悩も全て吹き飛んでしまいます。
大きく伸びをして、目を閉じて、今「この時間」を体一杯で味わいました。

こうして、特牛駅での滞在時間はあっという間に過ぎていき…。迎えの列車がやってきました。
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~続く
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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その6 

5/3(木) 3日目<前編>

東萩で迎えた3日の朝。
この日は6時前に起床し、6時半にホテルを出て駅へ向かいました。

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昨日は一旦晴れ間も出ましたが、今日はまた朝から雨で風もやや強め。
見事に予報通りです…。

東萩7:08→長門市7:46
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7時過ぎになってようやく改札が始まり、ホームに入ることができました。
ほどなく長門市行きの列車が入線。キハ120×2のロングシート車でした。

座席は東萩発車時で半分、最終的にほぼすべてが埋まるほど。祝日にもかかわらず、学生の姿が目立ちました。
やはり車窓には大海原が広がる区間があり、海が見える度に向かい座席の子供たちが「うーみーはーひろいーなー♪」と口ずさんでいたのが微笑ましかった…(笑

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列車の終点・長門市に到着。美祢線、山陰本線の仙崎支線が接続しています。
仙崎支線はわずか1駅のみの路線ですが、美祢線に直通する列車もあります。
山陰本線の支線にもかかわらず、なぜか山陰本線との相互直通は設定されていません。

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こちらは向かいに停まっていたキハ40ですが、いくらなんでも色褪せしすぎじゃ…?

長門市7:56→仙崎8:00
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ここからは支線に乗って隣の仙崎駅へ。
車内は私以外全て高校生で、まぁ賑やかでした…。

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僅か一駅、4分の旅。
詩人・金子みすゞの故郷として有名な仙崎に到着です。

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仙崎駅の駅舎内にはモザイクアートがありました。

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そのモザイクアートをよく見てみると、一枚一枚にコメントやイラストが描かれています。
コメントの内容などから察するに、地元の中高生が書いたもののようでした。

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線路の終端部分から駅を望みます。

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駅舎はレトロに飾られていますが、実は鉄筋コンクリート製。
でも、十分それらしい雰囲気は出てるのではないでしょうか。

一応駅構内にロッカーはあったのですが、荷物は入らず…。やむなくでかいリュックを背負ったまま散策に出かけました。

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駅から海の方に向け「みすゞ通り」なる通りが伸びています。
一見すると単なる住宅街なのですが…

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こんなモザイクアートがあったり…

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民家の軒先にみすゞの詩が掲げられていたり…と、随所に「みすゞ」に対する思い入れが見られます。

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また通り沿いにはみすゞゆかりの場所が残っており、この遍照寺には金子みすゞの墓所があります。
金子みすゞの命日は3月10日。その日には多くの人がここに集まるそうです。

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みすゞ通りを歩くこと15分ちょっと、海に出ました。

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正面に見えるのは青海島。
右に写ってる橋を渡り、青海島の方へ行ってみます。

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橋からの眺め。
天気は良くありませんでしたが、釣りをしている人の姿が見受けられました。

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青海島に渡るとすぐに「王子山」があり、そこの展望台からは仙崎の街を見下ろすことができます。
金子みすゞもこの景色を眺め、『木の間に光る銀の海』の中に『竜宮みたいに浮かんでいる』と詠んでいます。

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9時になったのを見計らって、みすゞ通りを駅に向かって引き返し、その途中にある「金子みすゞ記念館」を見学します。
右は、本屋を営んでいた金子みすゞの実家を再現した「金子文英堂」。
その「金子文英堂」が記念館の入り口になっており、入場券350円を買い求めて入館します。

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こちらがみすゞの部屋を再現したもの。
この他記念館にはみすゞに関するあらゆる品々が展示されており、彼女の短い一生を詳しく知ることができます。
彼女が晩年に様々な苦悩を抱き、その末に自殺を選んだということはこの時初めて知りました…。
(てっきり病気で亡くなったものとばかり思っていたので…)


正直、私は金子みすゞについて特段関心があったわけでもなく、むしろ仙崎という街そのものに興味があって今回街を歩くことにしました。
しかし実際にみすゞゆかりの地や記念館を見ることで、彼女の想像力や観察力に驚かされるとともに、彼女が仙崎をいかに愛し、逆に仙崎も彼女を大切にしているということを感じました。
同時に、自分にも金子みすゞのような「純粋で素朴で、それでいて本質的な鋭い視点」があれば…と思わずにはいられませんでした。

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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その5 

5/2(水) 2日目<後編>

石見銀山観光を終え、大田市駅へと戻ってきました。
売店でサンドイッチを購入し(弁当が売ってなかったので、昼食はこれで我慢…)、ここからは山陰本線でさらに西を目指します。

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一見何の変哲もない跨線橋ですが、この門柱は日本最古のもの。

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上部には説明板が設置されています。
1890年製ということは、既に120年の歴史が…。

大田市12:05→益田13:22 特急スーパーおき3号

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列車本数も少ないので特急を使います。
キハ187系は初乗車でしたが、その飛ばしっぷりに感動しました。乗り心地も上々。

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小雨は依然降り続いていましたが、徐々に青空がのぞき始めてきました。

益田13:27→東萩14:38
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益田で普通列車に乗り換え、東萩へ。ここからは初乗車の区間。
キハ40単行で、車内はそれなりに混雑していました。
(画像は東萩にて)

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この後雨は完全に止み、日が差すまでに天候が回復!
天気予報では終日雨もしくは曇りの予報だっただけに、これは嬉しい誤算でした。
晴れているのと曇っているのでは、車窓も全くの別物です。

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美しい海に見とれているうちに、東萩に到着。萩観光の拠点は萩ではなく、こちらの東萩が一般的です。
日本を動かした人物達ゆかりの地が、町の至る所に残されています。

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駅舎。
造形がどことなく三次駅と似てる気がしました。

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というわけで、無関係の三次駅舎。
三階部分の有無を除くとそっくりだと思いますが、いかがでしょう?

この後、荷物を置くために一旦ホテルにチェックイン。
雨が止んでくれたのでレンタサイクルを借り、早速萩の街を走り回ります。

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途中の「松陰大橋」から望む松本川。

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最初に訪れたのはやはりここ、松陰神社。
松陰神社は東京都内にもあり、そちらには松陰の墓所がります。

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松下村塾をはじめ松陰ゆかりの遺構が多く残されていて、往時に思いを馳せることができます。
多少手は加えられていますが、建物は復元ではなく当時のものだそうです。

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ここが元々あった講義室で、その広さは8畳。のちに10.5畳の部屋が増設されました。
松下村塾は1842年、松陰の叔父の玉木文之進が開設。松陰は57年に「松下村塾」を引き継いで弟子の育成に努めましたが、翌58年に投獄され、59年に処刑されました。
つまり、松陰が松下村塾で教鞭をとったのは僅か1年(それ以前にも家族などを相手に講義はしていました)。
それでも、ここからは明治以降の日本を支える優秀な人材達が次々に巣立って行きました。

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奥にある御社殿。
松陰神社での参拝を済ませたら、再びサイクリングを開始。

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松陰神社の東側には東光寺があります。
今回は外から眺めただけで中には入りませんでしたが、境内には毛利家の墓所があり、500基の石燈篭が立ち並んでいるといいます。画像は東光寺総門で、1693年に創建されました。

この東光寺付近からはずっと上り坂。
ギアなしの自転車はなかなか進まず、随分苦労しました…。

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その丘の頂上には吉田松陰の生誕地。
このすぐ近くには松陰の墓所もありますが、こちらは遺髪を埋めたもので、本物(?)は先述の都内松陰神社にあります。
この銅像は、松陰と弟子の金子重輔が下田沖のペリー艦隊を見つめている姿を彫刻したもの。

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この場所からは萩の街を見渡すことができます。
松陰もこの景色を眺めたのでしょうか。

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松陰生誕地付近からはひたすら下り坂が続きます。
この快感は言葉にするまでもありません(笑

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そのまま自転車をこぎ続けて10分ほど、街の中に旧萩藩校・明倫館(現明倫館小学校)があります。
この建物自体は昭和10年に建てられた明倫館小学校の校舎で、かつての明倫館そのものではありません。(それでも凄い貫禄ですが…)
校内には明倫館の遺構が多数あるとのことですが、「関係者以外立ち入り禁止」の看板があったため入ることはできませんでした…。

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その後街を突っ切り、萩城跡を目指して自転車をこぎ続けます。
城跡のすぐ近くには菊ヶ浜という砂浜が広がっており、付近には「マリンビュー」を売りにする温泉旅館が立ち並んでいます。

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明倫館から15分弱、萩城跡にやってきました。
萩城は1604年に毛利輝元によって築城され、現在は城壁の一部や石垣が残されています。

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自転車のまま入れるとのことだったので、そのまま城内をサイクリング。
内部は広く、じっくり見ようとすると結構な時間を要しそうです。

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天守閣跡。

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登ってみても外堀くらいしか見えません。
でも人も少なく静かで、とても居心地のいい場所でした。

この時点で17時半前。
まだまだ萩市内に見所は多いのですが、レンタサイクル返却の時間も迫っていたため観光はここまで。
自転車返却後、夕食にするべく街中を歩いて良さげな店を探し、たまたま見つけた和食料理の店に入りました。

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入ってみると思いのほか狭い店内のカウンター席に客一人、そして御主人と奥さんの3人だけ。
雰囲気的に高そうなお店でした。
「あー、これはミスったかな…」
と思ったのですが引くに引けず、結局カウンターに着席。

席に座ると「あんたはどっから来たの?」と、頑固そうな御主人に声をかけられ会話がスタート。
漁師をしているという客の男性、さらに物腰柔らかな奥さんも加わり、4人で取り留めのない話が続きました。

出てくる料理は案の定手の込んだ和食。
しかし銀座で修業を積んだという御主人の腕は確かで、どれも本当に美味しく頂きました。
(料理の写真は念のため許可を得て撮影しました)

取り留めない会話は政治の話(山口出身の首相が多い)から、萩について(台風や地震が少なく、暮らしやすい)、山口について(道路が綺麗、無駄に整備されている)、仕事についてなどなど…。当初は気難しそうな印象だった御主人も、話してみればとても気さくでいい方でした。
美味しい食事と楽しい会話…気付けば既に19時をはるかに回っており、もう一人のお客さんが帰るということだったので私もホテルに戻ることにしました。

やはり料理の代金は”それなり”(飲み代くらい)でしたが、料理の質と楽しいひと時を過ごせたことを考えれば、決して高いものではありませんでした。旅先でのこうした出会いには、何より価値があると思います。
帰り際「これ持ってきな」といって伊予柑までいただき、お礼を言って店を後にしました。

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ホテルに戻った後は萩温泉が引かれた大浴場に浸かって旅の疲れを癒し…
頂いた伊予柑を食べながら一日を振り返り…
こうして満たされた気分でベッドに入ると、すぐに眠りに落ちて行きました。


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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その4 

5/2(水) 2日目<前編>
大田市で迎えた旅行2日目の朝。

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この日は6時前に起床。6時半過ぎにホテルを出て駅へと向かいます。
残念ながら前日から降り続く雨が止むことはなく、この後も一日降り続く予報です。

大田市駅6:52→大森代官所跡7:18(バス:610円)
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駅のロッカーに荷物を預けた後、バスで石見銀山へ向かいます。
早い時間にバスがあったので助かりました。

バスには学生が一人乗っていましたが、彼も途中で下車。
誰も乗り降りしないバスに一人揺られ、駅からおよそ約25分。石見銀山の玄関口・大森代官所跡に到着です。

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バス停を下りてすぐのところに大森代官所があります。
幕府の直轄領であった石見銀山を治めたのがこの代官所です。

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その代官所跡から石見銀山公園までの1キロ弱は「町並み地区」として古い町並みが残されています。
さすがにまだ観光客の姿は見えず、辺りは静けさに包まれていました。

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中には郵便局や銀行などもありますが、いずれもクラシックテイスト。

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自販機まで御覧の通り(笑

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途中にあった「観世音寺」から町を見下ろすことができました。
この地方に多く見られるオレンジ色の瓦屋根は「石州瓦」。
石見地方原産の瓦で、独特のオレンジ色は釉薬に使われる来待石によるものだそうです。

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町並み地区には旧河島家や金森家など、かつての代官所地役人や商人の住居が残されています。
一部は見学も可能。

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古き良き雰囲気の住宅に掲げられた「珈琲」の看板。

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代官所から15分ほど歩き、公園の入口までやってきました。

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近くには有名な五百羅漢があります。
五百羅漢はかつて銀山で働き亡くなった人々の霊や祖先の霊を供養するため、25年を要し1766年に完成したもの。
中には500体に及ぶ羅漢座像が置かれており、その表情やしぐさも様々。大変個性的な仏像群です。

500円を払って境内と羅漢像を見学。その後、公園の入口に戻りました。
公園からは「龍源寺間歩」を目指し、約2.3キロの道のりを歩きます。

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途中までは遊歩道が整備されており、ハイキング気分で散策できます。

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ちょうど半分ほど歩いたところに立派な休憩所がありました。
ここで、コンビニで買っておいたパンを食べ、20分ほど休憩。

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途中にはいくつも間歩(=坑道)があります。
大きな間歩には画像のような案内板が出ていますが、それ以外にも小さな間歩がいくつもありました。
この付近には600を超える間歩が点在します。つまり、そこらじゅう穴だらけということです。

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公園入り口から歩くこと30分弱、龍源寺間歩の入口に到着。
現在入ることができる唯一の間歩で、全長は600mほど。このうち273mを歩くことができます。
(ただ273mのうち116mは平成元年に観光用に掘られたものなので、実質157m)
公開時間(9時~)の15分前に着いてしまいましたが、あっさり入場させてもらえました。

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さあ、いざ間歩へ!

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間歩内部はやはり狭く、直立で歩ける場所は多くありません。というか、殆ど中腰で歩かないと頭をぶつけます。。
また外に比べて随分涼しく(このときは12℃)、所々で水が滴っていました。

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所々で横にも穴が開いており、細い坑道が続いていました。
これだけ暗く、狭く、そして危険な場所での作業は、想像以上に過酷なものだったはず。
事実、坑内で作業をする人々の平均寿命は短く、30歳まで生きられたら長寿の祝いをしていたと言われています。

坑内には私一人。聞こえるのは自分の足音だけ。
少し心細い思いをしながらも10分ほどで間歩を抜けました。

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出口から少し歩いて行くと、何とも雰囲気ある神社が姿を現しました。
佐毘売山神社と書いて「さひめやまじんじゃ」と読むようです。

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階段を上っていくと拝殿があります。
鉱山の守り神が祀ってあり、別名「山神社」。
過酷な環境の鉱山で働く人々にとっての拠り所であったのでしょう。

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出口から5分ほど歩くと、元来た道に合流します。
そのまま代官所の方へ戻る途中、またも気になる神社がありました。
この豊栄神社は山口市にもあり、いずれも毛利元就を祭神としています。

この後来た道を戻っていると、近くにあったお茶屋のご主人に「団子食べてかない?」と声をかけられました。
まだまだ時間もありましたし、歩き疲れたので休憩がてら団子を頂くことに。
そこで御主人と色々話をしたのですが、その中で印象的だったのが「世界遺産化」による現地の方々の複雑な胸の内です。

御主人曰く、もちろん観光客が増えたので、商売的には歓迎。
しかし
・観光客の増加に伴って走行に危険が伴うため、路線バスが廃止されてしまった(結果、山奥の高齢者は生活の足をなくした)
・観光客が(勘違いをして)住居の中に勝手に侵入することがある(町並み地区には一般の住宅も多い)
・町並み保存地区においては建物の立て替え等にも制限がある
等々、世界遺産になってから色々な不都合が生じ、日常生活の在り方も変わってきてしまったとのこと。

「世界遺産になって良かったと思われますか?」と伺ってみたところ、
「うーん、何とも言えないね(苦笑) まぁうちみたいに商売してることろはいいけど…」

勿論これは世界遺産に限らず、観光地ならどこもが抱えるジレンマに違いありません。
観光する際には現地の「日常生活」を第一に考えて行動することを心がけなければならない、ということを改めて感じさせられた気がしました。
当然と言えば当然のことなのですが…。

その他にも御主人とは20分ほど話し込み、礼を言って町並み地区へ戻りました。



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町並み地区に戻ると既に10時を回っており、観光客の姿も見受けられるようになりました。
それでも天候のせいもあってか、町並みは相変わらず静寂を守っていました。
これがこの場所本来の姿なのです。

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代官所まで戻ってきたものの、まだ時間があったので資料館を見学しました。(入館料500円)
中には貴重な資料が展示されており、当時の様子を偲ぶことができます。

大森代官所跡11:11→大田市駅11:37(バス)
こうして4時間弱をかけて石見銀山を歩き、まだ小雨の降り続く中、大田市駅へと戻りました。
大田市からはさらに山陰本線で西へ向かいます。


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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その3 

5/1(火) 1日目<後編>

出雲大社から神門通りを歩きます。
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しばらく行くと、出雲大社最大の鳥居「宇迦橋鳥居」がありました。
高さは23mあり、上部に掲げられた額は畳6畳分の大きさ。
これが一番外側の鳥居で、ここから「勢溜の鳥居」まで「神門通り」が続いています。

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宇迦橋から勢溜へと続く道路。

出雲大社を出てから歩くこと15分ちょっと。
やってきたのが…
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旧大社線、大社駅です。
大社線は出雲市駅から分岐し、大社までの7.5キロを結んでいた旧国鉄・JRの路線。
丁度私が生まれる直前の1990年3月いっぱいで廃止され、その使命を終えました。

城、あるいは神社を彷彿とさせる純和風の木造駅舎を持ち、その価値を認められ、2004年に重要文化財に指定されました。なお重要文化財になっている「駅舎」は全部で三つあり、他に門司港駅と東京駅がそれぞれ指定されています。

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その威容を目の前にし、こんな駅があったということに驚くばかり…

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解放感ある高い天井、和風のシャンデリア、随所に感じる木のぬくもり…。
内部もほぼ当時のままで保存されています。

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こちらも当時のままの運賃表。
「客車三段式」「急行料金」などの文字が郷愁を誘います。

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ホームに残る駅名板。

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ホームにはD51774が保存されています。
線路は雑草で覆われていましたが、それを除けば今にも列車が来そうな雰囲気。

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向かいのホームから。

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やはり初詣等の多客期は大勢の人でにぎわったのでしょう。
その賑わいを今に伝えるのが、駅舎の脇にある臨時改札口です。

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屋根瓦にまぎれて、所々亀の置物がのっています。
(全部で6匹いるようですが、全ては見つけられませんでした…。)
この他にも各所に意匠が凝らされており、設計者のこだわりが見てとれます。

30分ほどかけてじっくり見学したのち、再び出雲大社方面へと歩いて引き返しました。

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その途中にある一畑電車の出雲大社前駅。
帰りはバスではなく、この一畑電車で出雲市駅へ戻ることにします。

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駅舎は1930年に作られた西洋風のもので、ステンドグラスまではめ込まれています。
先程の旧大社駅が純和風なのに対し、こちらは西洋風。何とも対照的な二駅です。

出雲大社前15:39→川跡16:00
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今回乗車するのは元南海の車両。
既に製造から50年近くで、一畑電車の中でも最古参です。

2両編成の列車には多くの観光客が乗車し、座席は殆ど埋まった状態で出雲市に向けて発車。
列車には女性アテンダントも乗務しており、車内アナウンスや駅での切符回収を行っていました。

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途中、車窓には多目的施設の「出雲ドーム」が見えました。何とこのドーム、木造なのです。

川跡16:03→電鉄出雲市16:12
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川跡駅で乗り換え。
隣に入線してきた元京王5000系に乗車し、終点を目指します。

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30分ほどで出雲市駅に戻ってきました。
電鉄出雲市駅は出雲市駅に隣接し、高架駅になっています。

駅へ戻ってきたものの、次の列車まではまだ1時間以上。
そこで昨年12月の旅行の際も立ち寄った、駅前の「らんぷの湯」で入浴することにしました。
温泉でゆっくり体を温め、風呂上がりは畳の上で新聞を読み、列車の時間が迫るのを待ちました。

出雲市17:26→大田市18:08

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ここからは今晩の宿泊地・大田市を目指して山陰本線を西へ。
キハ120に乗り、車窓の海を眺めながらボーっとしていました。

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そして大田市に到着。
駅を出ると雨が降り始め、少し急ぎ足でホテルへと向かいました。

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この日の夕飯はコンビニ弁当ですが、ローソンでこんなものを見つけたので迷わず購入。
まあ…普通のコンビニ弁当でした。


こうして旅の一日目は大田市で終了。
翌日は雨の予報ですが、果たして…
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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その2 

5/1(火) 1日目<前編>
出雲市駅11:30→日御碕12:15(バス)
まずは日本海に面する日御碕を目指し、40分ほどバスに揺られます。

バスはほぼ満員の状態で出雲市駅を出発。
しかし途中の出雲大社で殆どの乗客が降り、日御碕まで乗車したのは僅かでした。
ちなみにこの区間のバス代は840円で、地味に痛い出費…。

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バスを下りて海の方へ歩くと、まずこの鮮やかな門が目に入ってきます。
日御碕神社です。

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本殿「日沈の宮」。
境内の階段を上ると上にも本社があり、下の「日沈の宮」に対し、上は「神の宮」と冠せられています。

参拝したのち、岬を目指して坂道を登っていきます。

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途中に見える経島(ふみしま:画像中央)はウミネコの繁殖地。
画像では分かりませんが、島の上では夥しい数のウミネコが羽を休めていました。

その後、土産物や食堂が並ぶ通りを抜けると…
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美しい白亜の灯台、日御碕灯台が見えてきました。
石造灯台としては日本一の高さを誇り、歴史的文化財としても価値があるそうです。
また、「崎」ではなく「碕」と書くのもここだけ。

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付近は大山隠岐国立公園の一部でもあり、目の前には日本海が広がります。
うーん、素晴らしい景色!

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遊歩道が伸びていたので少し歩いてみました。

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5分ほど歩くと御覧の眺め。
この場所には「出雲松島」という名が付いており、周囲には大小20ほどの島が点在しています。

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この後、せっかくなので灯台に登ることにしました。
日御碕灯台は全国に15ある参観灯台(入場可能な灯台)のひとつで、200円払えば上までに登ることができます。

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とはいえ、ここを登るのが一苦労…。
この急な鉄製階段を上って行くのですが、幅が狭く、人とすれ違うのも容易ではありません。
土足禁止なので足元も滑りやすく、細心の注意が必要でした。

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何とか頂上に辿り着き、眼下に大海原を見下ろして達成感に浸ります。
一通り満足したら慎重に階段を下り、灯台を後にしました。

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そろそろいい時間だったので、近くの食堂で昼食。
「日本海丼」なるものを頼み、さわやかな潮風に吹かれながら箸をすすめます。
刺身の漬けが載った丼で、美味しく頂きました。

この後急いでバス停まで戻り、次の目的地へと移動。
日御碕13:39→出雲大社14時過ぎ(バス)

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出雲と言えば、やはり「出雲大社」。
というわけで、駅に向かうバスに乗って出雲大社で下車します。

バスを下りて最初に向かったのがこちらの「神楽殿」。
詳しいことは分かりませんが、ここは御神楽や御祈祷が行われる場所で、現在の建物は昭和56年に建てられたものだそうです。

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この神楽殿で有名なのがこちら、日本一の大きさを誇る注連縄。
長さは13m、重さは何と5トンもあり、とにかく巨大です。
こんなのどうやって作るんだろう…。

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続いて御本殿。
平成20年から大改修が行われていて、落成は来年の5月。それまでは御神体も別の場所に移されています。
周囲は囲いに覆われていましたが、特徴的な屋根は見ることができました。

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現在御神体がおられるのがこの「御仮殿」。つまり、参拝者が参拝するのはこちらです。
ちなみに出雲大社の参拝は「二礼四拍手一礼」が正式と言われ、他所と異なるのが特徴。

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参拝を終えたらこの松の並木を抜け…

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雰囲気ある参道を歩きます。
ここは全国的にも珍しい”下り参道”になっています。

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正面の鳥居まで戻ってきました。
(下りたバス停が神楽殿の近くだったため、参拝順序が逆になってしまいましたが…)

出雲大社には4つの鳥居があり、外側から「宇迦橋の鳥居」「勢溜の鳥居」「松の参道の鳥居」「銅の鳥居」と名が付いています。
この鳥居は2つ目の「勢溜の鳥居」で、ここから先が参道になります。


この後神門通り(勢溜から宇迦橋に続く道)をぶらぶら歩き、次の目的地へと向かいました。
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