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The seaside of Shonan

変わりゆく風景の「今」を残したい

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『古きを偲ぶ、中国地方一人旅』 その5 

5/2(水) 2日目<後編>

石見銀山観光を終え、大田市駅へと戻ってきました。
売店でサンドイッチを購入し(弁当が売ってなかったので、昼食はこれで我慢…)、ここからは山陰本線でさらに西を目指します。

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一見何の変哲もない跨線橋ですが、この門柱は日本最古のもの。
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上部には説明板が設置されています。
1890年製ということは、既に120年の歴史があるということですね…。

大田市12:05→益田13:22 特急スーパーおき3号

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列車本数も少ないので仕方なく特急を利用。
キハ187系は初乗車でしたが、乗り心地は上々で、その飛ばしっぷりもなかなかのものでした。
それだけに、この投げやりなデザインが惜しまれます…。

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小雨は依然降り続いていましたが、徐々に青空がのぞき始めてきました。

益田13:27→東萩14:38
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益田で普通列車に乗り換え、東萩へ。ここからは初乗車の区間です。
車両はキハ40の単行。車内はそれなりに混雑していて、ボックス席にはどこも2~3人座っているという感じでした。
(画像は東萩にて)

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この後雨は完全に止み、日が差すまでに天候が回復!
天気予報では終日雨もしくは曇りの予報だっただけに、これは嬉しい誤算でした。
晴れているのと曇っているのでは、車窓も全くの別物ですから…。

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美しい海に見とれているうちに、東萩に到着。萩観光の拠点は萩ではなく、こちらの東萩が一般的です。
日本を動かした人物達ゆかりの地が、町の至る所に残されています。

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駅舎。
造形がどことなく三次駅と似てる気がしました。

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というわけで、無関係の三次駅舎。
三階部分の有無を除くとそっくりだと思いますが、いかがでしょう?

この後、荷物を置くために一旦ホテルにチェックイン。
雨が止んでくれたのでレンタサイクルを借り、早速萩の街を走り回ります。

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途中の「松陰大橋」から望む松本川。

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最初に訪れたのはやはりここ、松陰神社。
松陰神社は東京都内にもあり、そちらには松陰の墓所がります。

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松下村塾をはじめ松陰ゆかりの遺構が多く残されていて、往時に思いを馳せることができます。
多少手は加えられていますが、建物は復元ではなく当時のものだそうです。そう思うとありがたみが増します(笑

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ここが元々あった講義室で、その広さは8畳。のちに10.5畳の部屋が増設されました。
松下村塾は1842年、松陰の叔父の玉木文之進が開設。松陰は57年に「松下村塾」を引き継いで弟子の育成に努めましたが、翌58年に投獄され、59年に処刑されました。
つまり、松陰が松下村塾で教鞭をとったのは僅か1年(それ以前にも家族などを相手に講義はしていました)。
それでも、ここからは明治以降の日本を支える優秀な人材達が次々に巣立って行きました。

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奥にある御社殿。
松陰神社での参拝を済ませたら、再びサイクリングを開始。

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松陰神社の東側には東光寺があります。
今回は外から眺めただけで中には入りませんでしたが、境内には毛利家の墓所があり、500基の石燈篭が立ち並んでいるといいます。画像は東光寺総門で、1693年に創建されました。

この東光寺付近からはずっと上り坂。
ギアなしの自転車はなかなか進まず、随分苦労しました…。

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その丘の頂上には吉田松陰の生誕地。
このすぐ近くには松陰の墓所もありますが、こちらは遺髪を埋めたもので、本物(?)は先述の都内松陰神社にあります。
この銅像は、松陰と弟子の金子重輔が下田沖のペリー艦隊を見つめている姿を彫刻したもの。

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この場所からは萩の街を見渡すことができます。
松陰もこの景色を眺めたのでしょうか。

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松陰生誕地付近からはひたすら下り坂が続きます。
この快感は言葉にするまでもありません(笑

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そのまま自転車をこぎ続けて10分ほど、街の中に旧萩藩校・明倫館(現明倫館小学校)があります。
この建物自体は昭和10年に建てられた明倫館小学校の校舎で、かつての明倫館そのものではありません。(それでも凄い貫禄ですが…)
校内には明倫館の遺構が多数あるとのことですが、「関係者以外立ち入り禁止」の看板があったため入ることはできませんでした…。

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その後街を突っ切り、萩城跡を目指して自転車をこぎ続けます。
城跡のすぐ近くには菊ヶ浜という砂浜が広がっており、付近には「マリンビュー」を売りにする温泉旅館が立ち並んでいます。

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明倫館から15分弱、萩城跡に到着。
萩城は1604年に毛利輝元によって築城され、現在は城壁の一部や石垣が残されています。

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自転車のまま入れるとのことだったので、そのまま城内をサイクリング。
内部は広く、じっくり見ようとすると結構な時間を要しそうです。

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天守閣跡。

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登ってみても外堀くらいしか見えません。
でも人も少なく静かで、とても居心地のいい場所でした。

この時点で17時半前。
まだまだ萩市内に見所は多いのですが、レンタサイクル返却の時間も迫っていたため観光はここまで。
自転車返却後、夕食にするべく街中を歩いて良さげな店を探し、たまたま見つけた和食料理の店に入りました。

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入ってみると思いのほか狭い店内のカウンター席に客一人、そして御主人と奥さんの3人だけ。
雰囲気的に高そうなお店でした。
「あー、これはミスったかな…」
と思ったのですが引くに引けず、結局カウンターに着席。

席に座ると「あんたはどっから来たの?」と、頑固そうな御主人に声をかけられ会話がスタート。
漁師をしているという客の男性、さらに物腰柔らかな奥さんも加わり、4人で取り留めのない話が続きました。

出てくる料理は案の定手の込んだ和食。
しかし銀座で修業を積んだという御主人の腕は確かで、どれも本当に美味しく頂きました。
(料理の写真は念のため許可を得て撮影しました)

取り留めない会話は政治の話(山口出身の首相が多い)から、萩について(台風や地震が少なく、暮らしやすい)、山口について(道路が綺麗、無駄に整備されている)、仕事についてなどなど…。当初は気難しそうな印象だった御主人も、話してみればとても気さくでいい方でした。
美味しい食事と楽しい会話…気付けば既に19時をはるかに回っており、もう一人のお客さんが帰るということだったので私もホテルに戻ることにしました。

やはり料理の代金は”それなり”(飲み代くらい)でしたが、料理の質と楽しいひと時を過ごせたことを考えれば、決して高いものではありませんでした。旅先でのこうした出会いには、何より価値があると思います。
帰り際「これ持ってきな」といって伊予柑までいただき、お礼を言って店を後にしました。

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ホテルに戻った後は萩温泉が引かれた大浴場に浸かって旅の疲れを癒し…
頂いた伊予柑を食べながら一日を振り返り…
こうして満たされた気分でベッドに入ると、何も考える間もなくすぐに眠りに落ちていったのでした。
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2012/05/10 Thu. 23:49 | trackback: 0 | comment: 0edit

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