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The seaside of Shonan

変わりゆく風景の「今」を残したい

最後の「夏休み」―東奔西走漫遊記 Vol.17(最終回) 

9/6(木) 10日(最終日)
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盛岡で迎えた旅の最終日。
この日も朝からどんよりとした雲に覆われていて、気持ちまでどんより…。ただ空気は確実に秋らしくなってきていて、今までの不快な蒸し暑さはありませんでした。
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流石の盛岡も、6時前ということで人は殆ど歩いていません。

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あとは自宅まで帰るだけなのですが、午前中を使って釜石線を往復します。

釜石線は花巻から釜石の90.2kmを結ぶローカル線。
釜石線の前身は「岩手軽便鉄道」という路線だったのですが、これが宮沢賢治(花巻出身)の「銀河鉄道の夜」のモデルとなったと言われていて、そのため釜石線には「銀河ドリームライン」という愛称が付けられています。
そんな釜石線。一体どんな景色を見せてくれるのでしょうか…。

盛岡6:05→釜石8:53
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車両はキハ100で、4両の長編成でした。ただ発車間際になっても乗客は乗って来ず、一番後ろの車両は私一人のみ。貸し切りの車内でランチパックをかじり、コーヒーを飲んで発車の時を待ちました。

列車は盛岡から花巻まで東北本線を走ります。最初は閑散としていた車内ですが、花巻に近づくにつれて徐々に乗客も増えていきました。
花巻で殆ど乗客が入れ替わり、進行方向も変わっていよいよ釜石線に入っていきます。

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新花巻では新幹線と接続。4人ほどが乗ってきました。
それにしても周辺の寂しさは否めず、よくここに新幹線の駅を作ろうと思ったな、と変に感心してしまいます。
調べてみると決して政治権力の賜物ではなくて、建設費の全額を地元が負担する請願駅という形で建設されたようです。

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やがて車窓には長閑な田園風景が広がり始め、祈りが通じたのか太陽も出てきました。

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周囲に住宅が多い土沢駅を過ぎ、晴山からは猿ヶ石川という川に沿って走ります(といっても殆ど川は見えないのですが…)。

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その後、一帯に街が広がる宮守駅に到着。
奥にはアーチ橋が見えていますが、これは通称「めがね橋」と呼ばれる宮守川橋梁で、土木学会推奨の土木遺産にも指定されている釜石線の象徴的存在です。

宮守では多くの高校生が乗車。
その後も各駅で次々と高校生が乗り込んできましたが、朝の学生というのは総じてテンションが低く、車内は至って静かでした。まあ、眠いですもんね。

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宮守を出るとまた川沿いを走り…

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遠野に近づくと一面開けた田んぼの中を走るようになります。

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釜石線の拠点駅、遠野。ここで多くの乗客が降り、車内はまたガラガラになりました。

「民話のふるさと」としてその名が知られる遠野。特に柳田國男の「遠野物語」は遠野周辺に言い伝えられる民話をまとめた説話集として有名で、作中には河童や座敷わらしなどが登場します。

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遠野を出る頃には青空も出始め、車窓には引き続き穏やかな景色が広がっていました。

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足ヶ瀬駅で交換待ち。少し外に出て深呼吸をしました。

足ヶ瀬を出ると、列車は峠を越えるために険しい山中に入っていきます。その名も「仙人峠」。
列車は長いトンネルを二つくぐって峠を越えていきますが、その途中には秘境駅と評される上有住駅があります。
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かなり登ってきました。眼下に見えるのは「仙人峠道路」。

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その先、陸中大橋駅付近には「Ωループ」があり、その名の通りΩの形を描いて一気に標高を下げていきます。
1枚目は上有住~陸中大橋(復路にて撮影)、2枚目は陸中大橋~洞泉。

険しい山中を走るのは洞泉までで、洞泉を過ぎると徐々に山が開けて釜石市街に入っていきます。ここまで来ると終点釜石も間もなく。

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釜石到着。

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釜石駅から北の宮古までは山田線が、南の盛までは三陸鉄道が結んでいて「三陸縦貫線」を形成していますが、現在は震災の影響でいずれも運休。現在、釜石駅を発着するのは釜石線のみとなっています。

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この釜石市も震災では甚だしい被害を受け、駅舎も津波の襲来を受けました。駅舎は流失こそ免れたものの、やはり腰のあたりまで水が押し寄せたといいます。後で駅蕎麦屋のおばさんに聞いた話ですが、浸水した駅舎の清掃もかなり大変だったとのこと。また蕎麦屋も冷蔵庫やガスが使えず、氷を集めて冷蔵庫に入れて営業した、というお話も伺いました。

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この後、街を歩きました。


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実際に歩いてみると、そこには凄惨な光景が広がっていました。確実に復興は進み、営業店舗も増えつつある一方で、鉄骨むき出しのビルや、ガラスが割れた住居などが依然手つかずのまま放置されているのです。電柱も傾いたままのものが多く、東へ行けばいくほど土台だけになった家の跡が多数見受けられました。

知らない土地なのに、こんなに悲しくなるのはなぜなんだろう…。初めて歩く場所なのに、こんなに息苦しくなるのはなぜなんだろう…。理屈では説明できない感情にたじろぎ、気付けば頬を涙が伝っていました。とてもではありませんが海岸には近づけず、街をぐるっと一周して駅へと戻りました。

今回こうして被災地を歩いたことが果たして正しかったのかどうか分かりません。答えもありません。今も自問自答しています。
でも、あの時に頬を伝った涙は現地に行ったからこそ生まれたもの。やはり現地に行ったからこそ感じたこともあるし、歩いたからこそ現地の人々の笑顔も見れた。そして、実際に現地の方のお話を聞くこともできた――。
帰り際、どこかの店先から聞こえてくる笑い声に少しだけ救われた気がしました。

実は半年前にも親戚の案内でいわき沿岸を訪れたのですが、その時は一切車から降りることなく、ただ被災地を通り過ぎただけでした。しかし今回実際自分で歩き、見て、話を聞いたことで、やはり被災地への考え方も随分と変わりました。今まで自分は本当の被災地を知らなかった…そう思わされたのです。
被災地への接し方、考え方、理解の仕方は人それぞれだと思います。でも、実際の訪問によって自分が何らかの示唆を得ることができたならば、それは決して無駄なことではないと考えています。それは被災地に限らずどこの場所にも言えることで、私の旅の「変わらぬスタンス」です。

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一見街は変わりなく見えるのですが、この川を渡った先には、各所に震災の深い傷跡が残っていました。

※その他釜石の現状はこちら
*******************
釜石10:22→花巻12:06 
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釜石から花巻へ戻ります。
帰りは快速「はまゆり」(右)の指定席をとりました。

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キハ110の0番代はリクライニングシートになっています。これは元々この車両が「急行陸中」などの優等列車に使用する、という前提で製造されたためで、JRでは「急行」用に新造された最後の形式でもありました。現在は快速「はまゆり」「南三陸」の運用を中心に、普通列車でも使われています。
流石に指定席はガラガラでしたが、自由席は花巻に向かうにつれ乗客が相次いだため、結果的に指定席をとったのは正解だったかもしれません。

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宮守で交換待ちのため停車。ここには立派な木造駅舎が残っています。
ホームに出て写真を撮っていると、おじいさんが「あそこに見えるのが天文台で、あれが運動公園で…」と、宮守の名所?を教えてくださいました。宮沢賢治も天文台で星を見て「銀河鉄道」の発想を得たのかも…などと適当なことを考えつつ(実際は宮沢賢治とは一切関係ないと思いますが…)、発車迫る車内へと戻りました。

花巻12:10→北上12:23
ここからは自宅に帰るだけ。一気に10日分の疲労感が襲ってくる中、行けるところまで鈍行で南下します。
701系の2両。
北上12:31→一ノ関13:21
意外にもキハ100の2連で、後ろに回送車が2両が連結された4両編成。
一ノ関13:54→仙台15:37
一ノ関は雨でした。ここから仙台までも701系でしたが、車内は座席がすべて埋まるほどの乗車率でした。
仙台15:46→東京17:56
仙台までは鈍行を使いましたが、この先帰宅ラッシュの時間帯に入ること、また自身の体調を考慮し、結局ここからは新幹線で。最後に新幹線を使うというのはある程度折り込み済みだったので、これは想定内の出費でした。
東京18:04→茅ヶ崎19:05
帰宅ラッシュ真っただ中の東京駅。混雑する東海道線に揺られ、無事地元に到着。

最後は駆け足になってしまいましたが、こうして長い10日間の旅にピリオドが打たれたのでした。

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10日間の旅――
計画段階で最も懸念していたのが「ただ長いだけの旅になってしまわないか?」ということでした。確かに長ければ長いほど旅の楽しみは増えますが、長いがゆえの「惰性」のようなものが出てこないか、それによって中身が薄くなってしまわないかという、そこはかとない不安がありました。しかし実際に旅出てしまえばそんなことは杞憂に終わり、振り返ってみれば「最後の夏休み」にふさわしく充実した旅行になったと思います。
雨にもさんざん降られました。列車の運休というアクシデントもあり、レンタカーの予約ができていなかったという不手際もありました。でも本文にも書いたとおり、皮肉にもそうした失敗やトラブルがあったからこそ、今回の旅が余計印象深いものになったことも事実。もう二度とやって来ない夏休み―。その貴重な時間を使ってこうした旅ができたのは本当に幸せなことでした。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。
(終わり)



【旅の行程および移動距離】
8/28 茅ヶ崎→福山→三次 817.7km
8/29 三次→潮→長谷→江津→出雲市 257.6km
8/30 出雲市→宍道→木次→備後落合→新見→岡山→坂出→岡山 329.9km
8/31 岡山→建部→津山→知和→美作滝尾→智頭→鳥取 151.1km
9/1  鳥取→竹田→姫路→加古川→滝野→滝→谷川→福知山→東舞鶴→福井 451.7km
9/2  福井→九頭竜湖→福井→金沢→和倉温泉 257.9km
9/3  能登半島→和倉温泉→高岡→雨晴→富山 129.7km(他、自動車移動約200km)
9/4  富山→青海川→長岡→新津→坂町→米沢→新庄 486.1km
9/5  新庄→狩川→高屋→酒田→秋田→盛岡→茂市→盛岡 481.5km(代行バス分含む)
9/6  盛岡→釜石→花巻→仙台→東京→茅ヶ崎 774km
鉄道総移動距離 4137.2km

<今回新たに乗車した線区>
木次線、津山線、因美線、播但線、加古川線(滝野~滝除く)、越美北線、七尾線、氷見線(高岡~雨晴)、米坂線、陸羽西線、奥羽本線(秋田~大曲)、田沢湖線・秋田新幹線、山田線(盛岡~茂市)、釜石線
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2012/09/26 Wed. 22:54 | trackback: 0 | comment: 2edit

コメント

ローカル線を乗り継ぎながら美しい車窓や現地の人々との交流を楽しむという、管理人様らしい壮大な旅になりましたね。どの旅行ガイドにも載っていない自分だけの旅…この旅行記を読みながら私もその魅力を再発見することとなりました。

学生としての夏休みは終わってしまうようですが、来年以降も切符やカメラを片手に旅の続きをされることを願っています。

お疲れ様でした。

mt #- | URL | 2012/09/29 00:52 * edit *

今日はお疲れ様でした。いつもありがとうございます。

今回の旅は、旅に付き物の「温泉」というファクターを欠いたものだったのですが(笑)、それでも景色、美味しいもの、そして人との出会い…という旅の醍醐味を大いに楽しむことができて、結果的に充実したものになりました。そして期間を考えると、確かに「壮大」でした。
ガイドブックに載ってない旅。それは確かに非効率で悠長なものですが、「ツアー」や「修学旅行」では得られないものを得られる意義深いものだと思います。こうした旅は今しかできないでしょうね…。

来年以降も…。そうですね。18切符の旅は難しいかもしれないですが、その分お金はかけられるので、新幹線などを駆使して引き続き旅ができればいいと思っています。

GAN #h8dDW2yY | URL | 2012/09/29 21:18 * edit *

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